トロイメライをイメージしてつくってみた
先日Last Aroundのイメージグッズをつくってみましたが(下記参照)、あれから少しずつトロイメライのイメージも固まってきていたので、今回はトロイメライのイメージに挑戦。
ツイッターの方ではぽつぽつツイートしていたのですが、Last Aroundの記事でも書いたように成本さんが書かれる宮野曲がそれはもうたまらなく好きで、定期的に脳内会議をしています。
成本さんの曲といえば比較的バラードや静寂が美しい曲が多いイメージです。なので初めて聴くと大半の人は他の攻めた曲調の曲だったり、ザ・宮野真守みたいな曲に最初は惹きつけられるのではと思うのですが、成本さんの曲はじっくりじっくりあたためて、大切に育てて聴くとじ〜〜〜んと胸にくるような、そんな曲が多い気がします。もう成本さんの曲の虜です。特に物事の例え方だったり言葉の言い回しだったりを歌詞に落とし込むセンスが本当に素晴らしい。語りだしたらキリがないのですが、トロイメライも個人的にものすごく「ここたまらん!」というポイントがあります。こちらも自分流の勝手な歌詞解釈なので、成本さんの意図に沿った解釈の仕方ができているのかは分からないですが説明します。
個人的な解釈を要約すると、幼いときからずっと近くにいたふたりが成長するにあたって「当然のように一緒にいる」ことの難しさと願いを歌った曲かなと思っています。
それぞれの愛が したたる芽に しずくを落とすから
限りある時を忘れ 永遠を誓い合う
上記は1番のサビ前の歌詞ですが、まだ「芽」の状態であることがどことなく幼い頃の表現として使われているように感じます。漫画とかでよくあるような、昔からの幼馴染が互いに好きで、何の疑いもなくこのまま一緒にいると信じこんで100%相手を信頼している、そんなきれいな情景が頭に浮かびました。
でも、そのまま大人になれるなんてことなく。
透明な幻影 夢の中 幼いあなたは笑う
本当だね 変わらないね その笑顔は
2番に入ってすぐの歌詞ですが、少し成長してお互いの間に見えない距離ができる様子が浮かびます。それでも記憶に残っているのはまだ正真正銘隣にいた頃の笑顔で、あの頃と気持ちは変わらないはずなのに、環境の変化と成長によってできた溝を示唆できるような表現。
それぞれの愛を つなぎあわせ 深い森を歩く
限りない空をあおぎ 何かに気付いてゆく
「深い森」=未知の世界=ふたりだけの世界ではなくなったことを示しているとしたら、お互い一緒にいたいと思っているから、何とかつなぎあわせて模索するけれど、ふと空を見上げるととてつもなく世界は広くて、だんだんと生きていくにはずっとふたりだけの世界に留まっているんじゃだめなんだ、と気付いていく……。「空」っていろいろな比喩表現に使われますが、ここでは世間やふたりの関係の枠の外を示していて、ふたりでこの先もいたいのならばその枠を超えなければいけない、というようなことを言いたいのかなと想像しています。だとすると「深い森を歩く」は、ふたりの関係性の在り方を模索する期間(=思春期?)なのかも。
そんな解釈をもとにつくったものがこちら。
重ねて1つの作品です。
1枚目と2枚目で、歌詞に合わせて世界の見え方が変わるような仕掛けにしたくて、こんなかたちにしてみました。
あと最近この曲を聴いて感動したのが、成本さんの歌詞のギミック……。Last Aroundもそうですけど、最初からラストにかけて曲の中のストーリーが進行していく様子があちこちに散りばめられているのはもちろん、表現のセンスに膝から崩れ落ちそうです。それがこちら。
それぞれの愛が したたる芽に しずくを落とすから
このフレーズがめちゃくちゃ好きなんですが、自分でも何がそんなに心に引っかかってるのか分からなくて考えてたら急に答えが出た。
「愛」って、平々凡々なボキャブラリーと想像力しか持ってないわたしみたいなのが想像すると、安直にたとえを「花」の方にしてしまいがちかと思うんですが、成本さんの詞だと愛=しずくの方なんですよね……。そして、愛は人と人が育てるものだから最初から花ではないんです、だから「芽」なんだきっと…。人が与えるべきはしずくの方、育てることなんですよね…。
成本さんご本人がこういった考えで歌詞を書かれたのかは分からないのですが、わたしはそう受け取りました。そしてたとえそうでなくても、ひとつの歌詞でこれだけ想像させてくれる成本さん、本当に素晴らしい人だと思います。
今回のアルバムには残念ながら参加されていなかったので、次のシングルこそは…!宮野さん、成本さんの曲待ってますよ!!!