GOLDEN NIGHTが好きすぎてつらい

GOLDEN NIGHTが好きすぎてつらい

オタクの記録と考察

「[日本キャスト版]WEST SIDE STORY Season1」感想

2020年初エントリです。あけましておめでとうございます。

ちょっと時間が経ってしまいましたが、宮野さんが主演で出演されていたブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」が終幕しました。3ヶ月に渡る公演、本当にお疲れ様でした…!

f:id:GOLDENNIGHT:20191118161509j:plain

f:id:GOLDENNIGHT:20191118161500j:plain

わたしが観劇したのは計3公演。11/16ソワレ・12/7マチネ・1/12宮野さんの千秋楽でした。実は、今回ブログに感想を残そうか途中すごーく迷ってしまって、今もこうして文章を打ってはいるけどどうまとめようか迷いながら書いてます…。自分の持っている感想が複雑な気持ちすぎて、読んでいてあんまり気持ち良い感想が書けないかもしれないので、そういう感想を求めていない方はここで読むのをやめてください。

ちなみに、キャストさんや演技の内容よりも物語の内容のことを中心に書きます。観劇した公演のキャスト組み合わせはこちら。

■11/16 ソワレ

f:id:GOLDENNIGHT:20191118161409j:plain

■12/7 マチネ

f:id:GOLDENNIGHT:20200126153758j:plain

■1/12 ソワレ

f:id:GOLDENNIGHT:20200126153825j:plain

 

先に全体の感想の結論から。個人的に、共感するのが難しい舞台だったなあ…と思いました。題材が題材だからかもしれないけど、難しくなかったですか?

時代設定や環境があそこに生きる人をそうさせているというのはあるけど、単純に手放しで“良い人”や“気持ちよく見ていられる人”がいないと思ったんだよなあ。登場人物がみんなどこかしらのシーンで「ゲッ!」って思うことを言うしやっちゃうのよ。具体的に言うと、みんな何かしら誰かに対して差別意識を持っていて、それを自分の中に留めるだけでいられなくて行動に移しちゃってる。現代日本人の感覚からすると、結構ひどいことをふつうに言ってるしやってる。だから因果応酬の果てにあの結末が待っていることを悲劇というよりは自滅だと納得しちゃうし、救いようのない話だなあと思った、というのがわたしの正直な感想です。

ちなみに、不朽の名作と言われるくらい有名なお話だそうですが、ミュージカルの音楽や舞台芸術に疎いのでまったくの初見。いろんなサイトに書かれている軽〜いあらすじを読んだくらいで、どうせこれから何度か観るのだしと思って、初回はあえて最初は予備知識なしで行きました。でも後から思えば内容を知っていてそういうものだと飲み込んでから観たら、また感じ方も少しは変わってたのかなあと思ったりして…。

 

トニーとマリア

初見で一番感じたのは、トニーとマリアが恋に落ちるシーンへの強烈な違和感。これは個人的な好みによるものですが、ダンスパーティーの場で会場の端と端にいた男女が一目見ただけで同時に惹かれるっていう、いわゆる「一目惚れ」が自分の中で「運命的な出会い」に変換できなくてつらかった……。

フィクションにおける一目惚れってわたしは正直苦手です。フィクションであればあるほど、一目惚れの一言で片せる恋の落ち方ではなくて、惹かれる根拠や理由を見たかった。その後の展開で何を見せられても「だからお互いこんなにも好き合うんだ」と納得できる理由がほしかったんです。ただの他人がたった一人の特別な人になる、その過程を見たいタイプなんですよね。フィクションだからこそ納得させてほしい。

トニーとマリアが、所属するグループの対立や立場のしがらみを越えたいち人間として愛を育むシーンは丁寧に時間をかけて表現されているし、お互いを愛しく想う気持ちみたいなものはものすごく伝わったんですが、如何せん最初の「一目惚れ」がずっと引っかかっていて「でもそのお互いへの愛の根拠はどこなん?」と思ってしまった。

ただ2〜3回と観劇を重ねると、展開が最初から分かってるからだんだんその違和感も慣れて薄れていきました。最初からそういうものだと思って見れば、さして気にならないかもしれないなあ。

派手に着飾った女性がほとんどのあの中で、たったひとりマリアだけが白のドレスで清純・無垢な感じだったのがきっとトニーの目を惹いたのだと納得できるようになったけど、マリアがなんでトニーを一目で気に入ったのかが最後まで分からなかった…。「誰かと間違えてないよね?」ってトニーが言ってたけどわたしも聞きたい。

 

そしてドライかもしれないけど、わたしはこのふたりのことをあんまり好きになれなかったんですよね〜…。

ふたりの世界に浸っているときはその声色から「世界一愛しい!」って気持ちがだだ漏れで、Tonightもバルコニーシーンも素敵だったけど、その後に続く展開のことを思うとどうしても周りを見てなさすぎだよ〜ってハラハラしてしまうんだ……!

たとえば、

決闘の話が出たときに、「素手で」って提案したのは他でもないトニーだった。マリアは平和主義の考えの持ち主っぽいから、「素手もだめ、決闘を止めて」ってトニーにお願いする。でもそれはこのふたりの間だけの話で、言ってしまえばこの時点では自分たちの都合なんだから、ここでトニーがそれに頷くなら提案者としてちゃんと仲間に話をつけなきゃいけなかった。それに理由がマリアのためじゃなくて、トニー自身に決闘を止めるべき信念みたいなものがなければ誰も説得できなかったと思うよ…。マリアもマリアで、自分に一番近い兄がグループの頭なら、トニーひとりだけにそんな重大責務を預けないで少しくらい身内から説得すれば良かったのにと思う。

トニーは素手のルールを守ると思ってたのかもしれないけど、結局相手も仲間もナイフ持参してたのが答えでしょう。しかもそのナイフを持ってたのがマリアの肉親とトニーの“一生兄弟”っていうほどに信頼してるような、それぞれに一番近い人間なんだよ。そこを説得できずにどう決闘を止めるっていうの……。

この時点でトニーは仲間に対して自分の提案を呑んでもらったのにそれをひっくり返すという不誠実を働いてる。対するリフやベルナルドもトニーの素手提案に頷いたのに、仲間のリフですらトニーにはナイフのことを言ってなかったんだからある意味裏切ってるよね。リフすら守れなかった約束をベルナルドが守れるわけないと思うし。わたしはそういう意味でリフやベルナルドだけでなくトニーも無意識に裏切ってるなあと思ったよ…たとえトニーがベルナルドに刃を向けなくても、すでにこの時点で…。

 

あとマリアのお父さんが家にいると知ってトニーが「お父さん良いね!挨拶させて!きっと仲良くなれる!」って言ってマリアに止められてるのを見て、トニーめちゃくちゃ浮かれてるやんと思った。地に足がついてない状態ってこういうこと?婚約者がいる娘の部屋に忍び込んできた敵グループの男を、なぜそんなにすぐに信用してもらえると思ったんだろう。恋は盲目だから…?

このシーンの後に例の決闘が待ってるもんだから、落差がすごい。ふたりでいるときの夢心地具合と、ふたりでいるためにすべきことへの計画性のなさ!この落差がすっっっごい!

トニーとマリアの間に流れる恋愛は、もうほんとにめちゃくちゃ夢そのものみたいにふわふわ浮いてて、浮かれるってこういうことなんだろうなーって思うくらいとにかく夢と希望に溢れてるんですよ。でもこの物語の基礎になってる差別とか時代背景みたいなものは性質としてとことん地に足がついている厳しい現実問題なので、その辺の天と地ほどある空気感の差。それが共存している物語だったので、観る側としては難しかった…。良し悪しは別問題としてトニーとマリアに心を寄せて観るか、全体の物語の筋書きから人物を観ていくかで結構印象変わると思うし、わたしは思いっきり後者で観てしまったクチでした。そして終始モヤモヤしていた…(笑)

 

アニータ

ここまで結構辛口に書いてきましたが、ドチャクソに好きだと思ったのがアニータでした。アニータあまりにも良い女……。

見た目的な意味でも良い女なんだけど、ちゃんと自分の意志をしっかり持ってるところが良い。ちょっとだけこの時代のアメリカを調べたら、中流階級の間では女性は家庭に入り着飾って夫の帰りを待つ、ということが理想とされていたらしい。実際にアニータも着飾ってベルナルドの帰りを待っているシーンがあったし、最初は全面的に自分の恋人の味方なのかなと思ってたら案外そうでもないらしい。ベルナルドの差別発言で気に食わないことを言われたらきっちり(なんなら皮肉を加えて)反抗するし、自分の考えを口に出せる強さのある女性だった。

それでいてマリアの“グループとか敵とか関係ない、トニーというただひとりの男性”を好きになった気持ちに対して、“マリアと同じ女性として”理解を示して手助けしようとしてくれる、そんな利口な女性。そのトニーに自分の恋人殺されてるのにな…それでもマリアの気持ちを汲んであげるところに愛情を感じた。

敵の陣地にひとりで出向いて、罵倒を浴びせられても毅然とした態度で立っていたアニータの強さには本当に感服する。マリアは死んだと咄嗟に嘘をついてしまったのは、もうあれを見ると仕方ないというか…。結局のところ、バラバラのタイミングでどちらかだけが寄り添おうとしてもだめだったんだろうな。「ベルナルドを愛してたわ」って言うアニータを見てからのあれなのでもう言葉がないです。

アニータはみもりんを2回、樋口さんを1回観ましたが、想像年齢がだいぶ違ったのがおもしろかった!一回りくらい違うかも。樋口アニータ敏腕女課長、みもりんアニータ頼れる若手チームリーダーって感じ。樋口アニータはめちゃくちゃ強そうで姉御肌感がすごくて、みもりんアニータは個人的にビジュアルがめちゃくちゃ好きだった。

 

エニィバディズ

エニィバディズというジェッツについて回っていた子、個人的には結構キーパーソンだと思いました。序盤あれだけ小馬鹿にされてるのにめげずにグループに居続けてトニーを助けたり、ジェンダー的な訴えも含む役なのか分かんないけどあの子こそこの舞台における影の太陽なのでは?と思った。

だからこそチノを探し回るトニーを引き戻そうとして手を取るエニィバディズに、トニーが「女だろ!?女でいろ…!」って叫ぶところはなんかつらかったな…。あれ、どういう意味で入ってるセリフなんだろう。

いまだにちゃんとした答えが分からないんですが、あの言葉っていろんな潜在意識の塊なのかなって。トニーはエニィバディズを小馬鹿にするようなことは言ってなかったけど、拭えない「お前はどうせ女」という性別で行動を区別する潜在意識と、だからこそ「女でいてくれ」という言葉が「俺のせいでこれ以上傷つくな」という牽制も含んだ言葉に聞こえた。両方混じっている複雑な気持ちのセリフだと感じた。またこのときの宮野さんの叫び声が悲痛と悔しさに震えるような声だったもんで、観ていて一番印象に残ったセリフでした。

あと、アニータがドクの店でジェッツのメンバーに襲われるシーンあるじゃないですか。あのとき、みんな憎悪に染まっててドクが止めるまで誰も止めなかったけど、エニィバディズだけは会話の雲行きが怪しくなったあたりから止めようと手を伸ばしかけていて、本格的に襲われているときは耐えられなくなってアニータに背を向けながら床に突っ伏してたんですよ。それ観たときにいろんな意味で「やっぱり女なんだな」と思ったし、これが後の「女だろ!?女でいろ…!」のセリフをトニーに言われたときに怯んだエニィバディズに繋がるような気がした。

 

この時代のアメリカという国

思ってもみなかったところで勉強になったと思ったのは、この年代あたりで流れているアメリカの空気感?に少し触れられた気がしたことですかね。

このミュージカルを観に行く少し前に、話題になっていた映画「ジョーカー」を観に行ったんですよ。WSSの後半で入ってきた「Gee, Officer Krupke」というナンバーが自分たちの境遇は社会のせいだと訴える内容で、これがジョーカーの中で漂っていた空気と似てた。WSSは1950年代のアメリカ、ジョーカーは1980年代のアメリカを舞台にしているので、アメリカという国の時代背景として、そういう空気が地続きになってるのかなあ…と思いました。まさかWSS観ててジョーカーを思い出すなんて思ってなかったけど。

どちらの作品も社会的メッセージを含むものとして評価されているようなので、アメリカという国の背負う歴史と空気を感じ取れる文化理解的なものがないと、この曲に込められているなにかを頭では分かっても感覚的に理解するのって難しいだろうなと個人的には感じました。

宮野さんがちらっと「このミュージカルを演るにあたってカンパニーのみんなとたくさんセッションして、時代背景を身体に入れた」みたいなことを話してたと思うんですが、多分そういうことをするなりしてそこに生きる人たちの感覚を掴んでおかないとできないんだろうなと思った。

 

 

あんまりちゃんと噛み砕いてまとめられなかったけど、ざっとわたしの感じたことを書いてみました。共感が難しかったことや勉強不足なところもあって、満足にこのミュージカルを理解できていたとは到底言えないけど、それもまた感想のうちということで…。あと髑髏城のときも宮野さんを観に行って生駒ちゃんに落ちた自分、今回も宮野さんを観に行ってアニータに落ちるあたり変わってない(笑)ああいう強い女性像大好きだなあ。

次の宮野さんの現場予定は朗読劇「VOICARION」です!2/22のマチソワで2公演チケットが取れたので、多分また感想書くかな。今らんま再熱中なので、女らんま役の林原さんと良牙役の山寺さんが共演なのも実は楽しみのひとつだったりする…(笑)

それではまた!